ダンディズムの祖 ボー・ブランメル2

2014-07-07_1607
こんにちはズル大佐です。

前回はダンディズムの祖と言われている「ボー・ブランメル」の生涯について調べたことを簡単に書きました。
平民でありながら社交界の中心に君臨したが、友人であり最大のパトロンであったジョージ4世の寵愛を失い、博打で資産を失った為に国外に逃亡し、支援のために旧友達が世話をした領事の仕事を自ら無にして悲惨な最期を迎えた事が分かりました。

では何故ボー・ブランメルというイギリスの洒落者の伝説がなぜこれほどまで広がり、現在まで伝えられているのでしょうか?
実は、彼の伝説の多くはフランスの文学者達によって意義づけられ、高められ、「ダンディ」を男の理想型の一つとして描かれていたのでした。
ブランメルの死後、イギリスのウイリアム・ジェスにより、ブランメルの伝記「ジョージ・ブランメル、通称ボー・ブランメルの生涯」(1844年)が書かれます。これに感銘を受けた、フランスのバルベイ・ドールヴィイが書いた「ダンディズムとボー・ブランメル」(1845年)という論文が、ブランメルをダンディズムの神話的な人物に奉るきっかけになるのです。
バルベイ・ドールヴィイの論文に影響を受けたフランスの文学や記事が次々に書かれる事となり、フランス的解釈を経たブランメルがダンディズムの理想というイメージが定着し、彼の伝説を揺るぎないものにしていったのです。

こうして現在までダンディズムの祖としてボー・ブランメルの伝説が語り継がれるのですが、当の伝記を書いたウイリアム・ジェスはブランメルの事を「ダンディ」と呼ぶ事を頑に拒んだそうです。
なぜなら当時のイギリスでは「ダンディ」とは「洒落者」を表す「ボーbeau」や「フォップfop」などと同じで、ダンディと呼ばれる洒落のめして気取っただけの男がウヨウヨいたそうです。そんなカッコだけのダンディと呼ばれる男達とブランメルは違うということが言いたかったのでしょう。

前回も書いたとおり、ブランメルの身分は卿士(エスクワイア)と呼ばれる、爵位どころか騎士(ナイト)より下位の身分でした。
貴族の上流階級から見たら限りなく平民に近いものです。
そんな彼ですが、文学史に名を残す偉大なバイロン卿に「ナポレオンになるよりブランメルになりたかった」と言わしめ、上流階級のパーティーにブランメルが来ないというのはそれだけで失敗とみなされ、「ブランメルの言葉は神託、服装は客間の法則」とまであがめられていたのです。
確かにその辺のダンディ(洒落者)を気取った男達とはレベルが違ったのです。
ちなみに当時大きな影響力を持っていたバイロン卿、ナポレオン・ボナパルト、ブランメルは頭文字をとって「3B」と呼ばれたそうです。

しかし、平民である彼がなぜこれほどまでに影響力を持つ存在になったのでしょう?
きっかけはジョージ4世と知り合い、その寵愛を受けた事でしょう。
また、当時のカラフルなシルクに煌びやかな刺繍を施し、太った体を覆い隠すような宮廷服を否定し、シンプルで体にフィットした服を着て皆がこぞってマネをしたことでしょう。
そして最大の理由は、貴族でもなく金や業績も無い一介の卿士が、国王や名門貴族相手に一歩も引けを取らず、落ち着き払った優雅さと大胆な言葉や態度を取った事ではないかと思います。

例えば、ジョージ4世の計らいで入隊を許された近衛連隊第十軽騎兵隊で18歳の若さで大尉まで抜擢されたというのに、21歳の時、隊がマンチェスターに移転になる際に、ためらわずに軍を辞めロンドンに留まる事を選びます。ジョージ4世の事を考えたらそんな恩知らずな事は出来ません。ダンディズムを貫くには田舎では意味がなくそちらを優先したのでしょう。

また、貴族社会が尊重してきたマナーや成り上がりの新興ブルジョアの経済力であっても、毒舌一つで形無しにしたそうです。
イマイチな服や小物を身につけている貴族やブルジョアに対して、眉一つ動かさずマジマジと見つめ、遠慮ない一言を浴びせたそうです。
ベドフォード公爵「ブランメル、私が着ている服をどう思うかね?」
ブランメル「そんなものを服と呼ぶつもりかね、すぐに脱ぎたまえ、それと君が今足に履いているものは何かね?」
ベドフォード公爵「これは・・・靴じゃないか」
ブランメル「ああ、やっぱり靴だったのか、僕はてっきりスリッパだとおもったよ」

他にも摂政皇太子であるジョージ4世に対し、
「おいジョージ、ベルを鳴らして従者をよんでくれよ」と、王子を召使い扱いした事が噂に成ったり。
ダンディクラブにジョージ4世を招いた際、このとき太っていた彼に聞こえる様に、
「君のデブな友人はいったい何者だ?」と…。

このことが決定的な事件となりジョージ4世と仲違いしてしまいます。
相手が国王であろうが貴族であろうが金持ちであろうが、無礼と紙一重の毒舌であっさりと無意味なものにしてしまったのです。この自信の裏付けとなったのが、圧倒的に支持されていた彼の洗練されたファッションや振る舞いであったのは想像に難くありません。

当時、ブランメルの威光は国王をもしのぎ、服の仕立て屋は王室御用達の看板よりもブランメル様御用達の看板を掲げた方が商売になったといわれ、ロンドンやパリでは、ブランメルに憧れて真似をするダンディがあふれかえったそうです。

しかし、ブランメルは職もなく地位もない、目に見える業績は何もなく、おまけに独身でした(涙)天才的軍事戦略で敵を打ち破り皇帝にまでなったナポレオンと、文学的業績と数々のロマンスが語り継がれる男爵バイロン卿、ただ個人の魅力と存在感だけでヨーロッパに君臨したブランメル。だれが一番カッコいいのか?ブランメルに決まっています!よね?

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結局ダンディズムって…。

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